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2017
09

自社内で手縫いされたアリゲーターストラップには、革の扱いに慣れた老舗らしい上質さが漂う

ところで、腕時計を日常的に使用していると、つい動かすのを忘れて止まってしまうこともある。そんな時も、このタンシュスポンデュは煩わしさを感じさせない。つまみやすいリュウズは2時位置にあり、すんなり引き出せるので巻き上げも針合わせも楽々。また、時間を停止させるプッシュボタンも、リュウズと同じくなめらかな感触で操作できる。ストラップはケース側からバックル側に向かって、なだらかに薄くなっているので、腕への着脱はスムーズ。しなやかな革のおかげで、圧迫感もない。時を静止するという、贅を尽くした特異な機能ばかりでなく、良質の素材を使用して、丁寧に作られていることも分かる仕上がりなのだ。その価値は、着けて使用してみると肌から伝わってくるはずだ。


それにしても、本当に時を止めることができたらどんなに素敵だろうか。しかし、たとえそれができたとしても、意識の深層では時間の流れを忘れられず、今が本当は何時なのか、時折、知る必要も出てくるに違いない。となると、時刻確認のためには必然的に文字盤に注目せざるを得ないわけだ。タンシュスポンデュは素材違いでいくつかのバリエーションがあるが、シルバーカラーの文字盤を使用したモデルは、文字盤とアラビア数字のインデックスとのコントラストが必ずしも優れているとは言えない。透かし彫りを入れた針も、控えめなきらいがある。加えて、レトログラードの日付の数字は細く小さい。それでもこの時計の佇まいに魅了されてしまうと、落ち着いて少し長めに文字盤を見るくらいは苦にならないように思う。その際、秒針が付いていないことなど、まず気にはならないだろう。


タンシュスポンデュをとりわけ詩的たらしめているのは、その哲学的でさえある機能そのものだが、それを探っていくと行き着くのは地道な技術開発だ。アジェノー製モジュールによる針の静止機構には、上下の位置でシンクロするふたつのホイールを採用。下のホイールは分針と日付針を、上のホイールは時針に働きかける。これらの針は3つのスネイルカムによりコントロールされ「動」と「静」の切り替えが行われる。9時位置脇のプッシュボタンを押すと、スネイルカムが動いて針が持続運動から切り離され、同時にコラムホイールに掛かるレバー(図版:灰色)が動く。このレバーが押し動かされることにより、そこに接する時針、分針、日付針に作用する先端が櫛歯状のレバー(図版:緑)がスライドするように動き、櫛の歯は最も外側の部分で歯車に掛かった状態になる。その動きによって、時針と分針はジャンプし、〝仮想時空間〟である12時位置の扇形スペースに飛ぶのだ。その際、時針は12時の少し手前の位置に、分針は12時から少し後ろの位置に収まるようになっている。そして、時・分針の移動とともに、日付針は右側へ動き、4時から5時位置にせり出した文字盤の下に隠れる。この操作を行って、腕に着けた者が時を閉じ込めている間も、文字盤の下ではテンプと輪列は止まることなく動き続ける。そして、プッシュボタンを再度押すと、再びスネイルカムが回転して、レバー類の位置が戻る。こうして針は〝仮想時空間〟から瞬時にジャンプして帰還を果たし、途切れず流れている現実の時間を指し示すというわけだ。


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